トムラウシ山遭難事故調査報告書
昨年の7月16日に発生して10名の大量遭難死者を
出した、北海道大雪山系トムラウシ山の遭難事故から一年
経ちましたが、それに合わせて、NHKのクローズアップ現代
で取り上げていました。
「山岳ガイドのスキルアップが喫緊の課題である」
という、トムラウシ山遭難事故調査特別委員会の報告に
基づいて、本場ヨーロッパの山岳ガイドの養成プログラムや
客のレベルチェック等を紹介するという内容でした。
そこで、ネット検索してみると、件の報告書がアップされて
いたので、プリントアウトしました。
91ページに及ぶ報告書です。典型的な気象遭難だった本件
ですが、私的には踏み込みが甘いと思いました。
まあ、感じ方は人それぞれなので、ぜひ読んで各自判断して
欲しいと思います。
「そういえば、オレがトムラウシに行った時も天気悪い日があった
よな~」
と思い出したものの、よくは覚えていません。
しかし、山岳会の機関誌に投稿した記事が残っているので、
一部を割愛して紹介したいと思います。
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平成4年8月29日(夜)~9月5日 個人山行
8/29
朝仕事を終えると食卓で日本農業新聞を広げた。
丁度全国の週間天気予報が載っていた。
「う~ん、良くないな、よし!今日出発しよう!」
予定では9/1夜の出発で、列車と飛行機の切符も全て
手配してあったにも関わらずである。慌ただしく仕事を片づける
と夕方の下り特急列車に乗り込んだ。
8/30
10時過ぎに十勝岳温泉に着いた。
十勝岳の噴火は記憶に新しいところで、観光客の姿も見られた。
時折晴れ間も覗いたが、歩き出すと間もなくガスが掛かってしま
った。
今回のルートは、十勝岳温泉→上ホロカメットク山→十勝岳→
美瑛岳→オプタテシケ山→トムラウシ山→忠別岳→白雲岳→旭岳
→旭岳温泉のロングコースなので、やはり天気が気になった。
そこで十勝岳付近で、地元の実力者らしき男性登山者を捕まえて
聞いてみた。
すると、今の時期に晴れるのは、太平洋高気圧の勢力が強くて
大きく張り出している時と、台風のような大きな低気圧が通過した
後だけと言う。それ以外は下界が晴れていても濃いガスに見舞わ
れるのだそうだ。
「う~む、時期が遅かったか……。」
見事に期待を裏切る明快な回答であった。
しかし、私はめげない。せっせと足を進めた。
十勝岳までは登山者も見られたが、その先は皆無でキツネが居る
くらいだった。
やがて雨となった。
美瑛富士避難小屋に着くと先客が4人いた。かなりのボロ小屋で、
張り付けたシートで何とか風雨がしのげるといった程度だった。
札幌からの2人組は小屋の中にテントを張った位である。
水場も無く、窪地に溜まった雨水でメシを炊いた。
今回の食料計画は、私の個人山行では非常に珍しい事だが、
ザックを軽量化するために加藤氏式を採用した。
まずは2日目の長丁場(ヒサゴ沼避難小屋まで)に備えて最高級
ビーフカレーを2つ平らげた。
「よし!頑張るぞ!」
8/31
雨、強風、濃霧……。低気圧の通過が予想外に遅く、回復する
見込みも無かったので迷わず停滞と決めた。他の人は、3人下山
で1人が停滞(3日目と言う)だった。小屋は昼なお暗く、ひたすら
眠るには都合が良かった。
「あ~あ、カレー食うんじゃなかった……。」
朝飯抜き……。昼飯抜き……。
夕食は昨夜の残飯でお茶漬けサラサラ、ハイおしまい。
「ハラ減った……。」
9/1
夜中に、物凄い雨と小屋がぶっ飛ぶんじゃないかと思うような
強風に見舞われた。天気予報では回復すると言うが、出発予定の
5時になっても雨だった。更には次の前線が接近中だったので、
前進か撤退かの二者択一である。
しかし、進む場合のタイムリミットとした6時で雨は上がった。
強風と濃霧は変わらなかったが、とりあえずオプタテシケ山まで
行ってから考える事にした。
そして、ガイドマップのコースタイム3:30のところを1:30で歩いた
時、腹は決まった。
「行こう!」
天気に若干の期待が持てたし、第一振り返ると強風をまともに
受ける為、戻る気にはなれなかったのだ。
濃霧の中をひたすら歩いた。背を越える笹ヤブで登山道が見えな
かったり、メチャメチャな踏み跡、何処でも歩ける岩稜帯等悩ます処
もあった。
そんな時役に立つのははやり1/25,000の地形図である。
今回は10枚も張り合わせたが、見易くするために通過して不要に
なった分は切り離していった。
歩きながら退屈しのぎと熊よけ?にラジオを聞いた。
丁度9/1は「防災の日」で特集番組を放送していた。道内でも防災
訓練が随所で実施されていたが、昨夜の豪雨で被害が出たために、
訓練を中止した自治体もあった。運良くと言うべきか、十勝岳温泉
から旭川に行く道路も土砂崩れで寸断されたらしい。もし、撤退して
いたら足止めを食らうところだった。
そうこうしている内にコスマヌプリを過ぎた辺りからガスが切れ、
晴天となった。非常にラッキーだと思った。
何と言っても今回の山行の核心部である。他の所が晴れるよりも
私には何倍も価値があった。特に黄金ケ原から眺めるトムラウシは、
ため息が出るほど美しかった。紅葉にはほんの僅か早かったようだ
が、この上無い贅沢である。
ちなみに9/12には大雪山の黒岳で初冠雪が記録された。
トムラウシの頂上直下付近は大小多数の清水の池が有り、
幕営地としても最高のロケーションを呈していた。真夏に気の
合った山仲間と、水浴びでもしながらのんびり出来たらいい
だろうなあ、とつくづく思った。
そこから上は鳥海山の新山のような岩山だった。
2,141mの山頂に着くと若者が二人いた。
北海道第二の高峰ということで、眺めは素晴らしかった。
歩いて来た山々は雲に遮られて見る事が出来なかったが、
ニペソツ山や石狩岳、大雪山等が視界に広がった。
当然ここで大休止、といきたい処だったが……。
計画ではヒサゴ沼避難小屋泊だったが、翌日の天気は確実
に雨だったので忠別岳避難小屋まで足を伸ばすことにした。
その時間差が2時間余あったので、急ぐ必要があった訳である。
そうして、化雲岳、五色岳を経て5時半、忠別小屋に着いた。
小屋のすぐ前には大きな雪渓があり、水が豊富に流れていた。
トムラウシの清水も旨かったが、そこのは
「最高!!」
合掌造りの小屋もきれいだった。先客は神戸からの若者一人
だけだったので、広々と使う事が出来た。まずは酒!となったが、
停滞中にチビチビやったのが祟ってたちまち空になってしまった。
後は飯を食って寝るだけである。おかずはタマゴ、タラコ、カツオ!
の、まるちゃんフリカケであった。
9/2
5時に小屋を出た。昨日の疲れも取れて快調だったが、1時間程
で雨が降り出した。加えてガス、強風……。ただただ目の前の淡い
踏み跡を見つめて歩くしかなかった。おまけに安物のエントラントの
カッパが、使用3回目にして水漏れを起こすはで散々だった。
道も平坦な直線がほとんどで、大変長く感じられた。
ほとんど休まずに白雲岳の避難小屋まで歩いた。
掲示板にはクマの目撃情報がずらっと書いてあったが、忠別小屋の
近くで糞を見つけただけで実物を見る事は無かった。
美瑛小屋での話では、登山道を歩いている限りは、滅多に会える
ものでは無いらしい。我々が県境縦走でたまにカモシカを見るのと
似た感覚だった。鈴やラジオでクマよけ……、はどうも道外からの
登山者と見ていいようである。
その先はいよいよガスが濃くなり、横風は15mを越えた。
とにかく広い遮蔽物など何もない尾根である。(そう感じた)
その風をまともに受けるのだから大変である。体全体を風上に10゜
程倒したままの歩行が続いた。気温はさほど低くなかったのだが、
手がかじかんだ。
だから、北海岳、間宮岳を経て大雪山及び道最高峰の旭岳
(2,290m)の頂上をもそのまま通過して下山した。
ロープウエイ駅食堂の暖房が実に心地良かった。
悪天にも見舞われたものの、この山行の印象は大変良い。
予定通りの踏破とトムラウシ付近での晴天が全てである。
例年この時期は本州以南の山々は晴れることが多いのだが、
北海道の山は大分勝手が違うようである。
今回の計画には付録があった。利尻岳と羊蹄山をも登ると
いうものである。まずは旭川のホテルで仮眠した後、深夜の
急行列車で稚内へと向かった。
以下は割愛しますが、利尻岳は強風の為に速攻で断念して
稚内からUターン。羊蹄山には楽しく登りました。
ということで、単独山行ならではの身軽さで完璧な判断の下に
行動出来たと思います。これが、寄せ集めの大人数ツアー登山と
なれば困難を極めることは容易に想像できますね。
そこで、山岳ツアーの場合には、
「ガイドの判断により、計画を変更、及び中止することもあります」
という文言をハッキリと募集要項に載せるべきだと思います。
もし、私がこのツアーのリーダーだったら、計画を大幅に変更して、
誰でも簡単に登れる旭岳を割愛して、トムラウシ一本に絞ります。
お客もトムラウシをメインに捉えていた筈ですから。
具体的にはトムラウシ温泉からのピストン。
この団体で日帰りは無理なので、天気の良かった7月14日に
トムラウシに登頂して、直下の幕営地で一泊。翌日は前線が
通過する前に速攻下山です。温泉でマッタリすれば、お客も満足
したことでしょう。
この遭難事故が起きた日のことは今もハッキリと覚えています。
「えっ!?、寒冷前線が通過したこんな日に行動したのか!?」
山と天気図が分かる人なら誰だってそう思ったでしょう。
昔ならいざ知らず、一週間前から天気動向が分かる現在です。
亡くなったチーフリーダーだって分かっていた筈ですが、いかん
せん、北海道の山を知らなかったのに加えて予備日が無い日程
に、がんじがらめになったのでしょう。不幸なことです。
なにはともあれ、生還者の生々しい証言や生きるために実践した
工夫等が記載されているし、一般的に経験者が少ない低体温症
のことも書かれているので、この報告書には一読の価値があると
思います。
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